昭和43年1月16日  夜の御理解   テープ№43-008

                        末永静行
※録音が二重になって聞き取りにくい。



今日お昼、下がらせて頂きましたら、手紙が来てまして、知らん人の名前が書いてありますから、誰だろうかと、博多の金光博(ひろし)と言う人から手紙がきておる、金光性を名乗る人はなんてざらにおるんじゃない、誰だろうかと思うたら、なんと加藤先生の事でした。この人は二十年前位に、お道の教師に拝命されて、いわゆる教会の養子にいかれて、まあ、いろんな問題があって、非常に霊徳に触れて、その為にきちがい、病院にまでいれらると言ったようなところを通られて、現在、自分の家で御取次に専念しておると自分でいってある、この正月からお年始に出たいと思いますけれども、神様から門外不出を言い渡されましてから、只今、修行中でございますというようなその手紙でございました。
そして、ここに先生、先生ならお分かりになると思いますからというて、まあ、その、いろいろ書いてございましたが、この十二月に神様から金光の性を許すという、そのお言葉が下がった、教祖様から、もうどんなに考えましても私共には勿体無くて恐れ多くて、金光の性を名乗るなんてと言う事はどうにも出来ない、出来ませんから、そのままほっとりましたら三回にわたって同じ事を頂きます、そして、本部広前にも届けよというお知らせであった、それでなおさらちゅうちょしておった、ね、合楽の先生にいっぺんお伺いをして頂いて、そして、右左を決めようと思いましたけれども、実はここで金光の性を名乗って、お手紙を差し上げですが、こう言うわけでございましたと言う事が書いてございます。
教主様にお手紙でお伺いをさせてもらった、そしたらこれからの手紙は金光の性をつかってもいいと言う御返事に接したから金光の性を名乗らせてもらいますという、金光性の披露の意味でのお手紙でございました。その何回も何回も金光性の名前、金光性の名前、本部に届けよというて、その、お前が疑うならば大坪性に伺うてみよということも仰ったそうです神様が、ほんとうにその、まあ、そんなわけですが、その時にですね、それでもどんなに思うても教主様にお届けをするのははばかっておりましたら、金光様、教祖様から大変、その、初めて教祖様が御立腹になった事は初めてじゃった。大変なご立腹であった、せっかく授けてやるのにと仰る。
それでもまだちゅうちょしておりましたら次には皮肉を仰る、お前が勝手信心の代表者じゃと仰った、私はそこんところを聞いて頂くために今のお話をしたんです、ね、金光の性を名乗れとかなんとか、そういうような事をですね私は問題にしません最近の私は、それはそんな事があってよかろうはずがないです、ね。
それはなるほど私共も以前そんなことがありました、もう例えば家内なんかに私をおとうちゃんとか、ね、お父さんとかと呼ばしてならん、金光様というてから呼ばせねばならんというような時代があったんですよ、もう吉木辰二郎なんかは、まだ、いわゆる、吉木、三代の先生ですね、吉木辰二郎なんかお前の、その、だいたい側にもよられんごたる、なかから、あそこには参るなと言うて、本当に私も二十日ばかりお参りしなかったことがあるぐらいです、けれども今からして考えてみるとそれはそんな事じゃなかった、もう神様がやはりあの手、この手で期待くださっておった事を思います。まだ、私やっぱりお父さんならお父さんといってもいい、ね、別に金光様とも思われませんし、けれどもやっぱりそう言う時代もありましましたから私もそれをそんな事は問題ではないと思うんですけれども、問題はそう言う事が本当に、こげんなんことを例えば本部教庁あたりに通知してあったり、教主様に手紙どんお伺いするともういよいよ、実際にできんのですよね自分の両親がある限り、けど、そこんところをおいてさせられるところに、神様を私はいつも感じますですね。神様って、そこんところのですね、本当に神様から皮肉を言われて、お前は身勝手信心、いわゆる勝手信心の代表者だといわれるように、その、いわれてです、そして、それこそ、ある意味合いでは泣く泣くそうされる、泣く泣くそうする、とても私は人間つらかぶってこげんなんことは出来んといったようなことがあるんですよやはり、けれども、神様は願いたてるのはそこじゃないわけです、ね、加藤先生でも、もちろんそれが分かられるじゃろうとこう思うんですけどね、その、いわゆる、身勝手信心の代表者じゃとこういわれる、その事をですね私は思うんです。
自分の都合のいい事は神様が下さると、はぁー有り難うございますとすぐ頂く、自分のどうも人間のつらかぶってどうもいわれません、されませんというというようなことになってくると、おいどっこい、それはどげん思うてもできませんというていうのはそのままが身勝手信心、いわゆる、身勝手信心を教えられたのです。極端から極端、ね、そう言うふうになってまいりますと、私共の信心は実に身勝手信心、自分の勝手のよかごつ、自分の勝手の良い事にばーっかり、教なら教えでも自分の勝手の良いほうにまげてしまう、自分の都合の良い事にしてしまう、ね、だから、本当の信心のお徳を受けると言うのはね、この身勝手、自分の勝手、こうする事が便利でもあるし、儲かるし自分の顔も立つといったような場合であってもです、ね、そんなり自分の顔はつぶれると言うようなことであっても、神様がそう仰るならはいと言うその信心こそが神様を中心にした信心です、自分を中心にした、いわゆる、身勝手信心である事を改めて私はその手紙を読ませて頂いて感じたんですけれどもね。
そこでですね、私共は、いうなら、いつも身勝手な事ばっかりですから、本当にお詫びの印も出来なければならんと言う事です。
昨日、文男さんが京都に行っておりました、お礼に出てきましたそうです、丁度私が北野に行った後でしたから、そんならまた明日出直す、また、あそこがよかところだと思うんですね、むしろだいたい普通はそんな事をする男じゃないです、もう月次祭に出てもよかなわけです、なら二十日の菊栄会でもいい訳ですけれどもね、あそこが自分の身勝手な事をしておる時にはあがしこせなん、根を根を詰めて、そこんところがあの人の信心の、いうなら、取り柄です。昨日きたけんお土産を持ってきた、けれどもおらんかったからまた明日出直しますというてまた今日出てきた。もうそれは、ここにいたもんですから、あとでどうか言われると思うたでしょう、それは、ちょうど十三日、だから、十三日会には帰ってくると私には言うておりました、だから、秋永先生には帰ってきた、あの人はまだ用件は片付いてしまう、十三日までおらなければ片付かんですよ実際は、まあ、文男さんと麻生さんだけは十三日まで残っておったわけですね。
だもんですから、月次祭にもご無礼して、十三日会にも帰ってこいというても帰ってきとらん、いわゆる、身勝手信心を、ね、自覚しておるんです。で、今日、まあ、お参りしてからですね、もう今度はあちらへゆっくりさせて頂いたおかげで、先生こげんなん探し出してきました(笑い)、なんば探してきたのうちいうたら、あの、つなぎの、日系文化財のつなぎなんですね、一反から、八万円もします、この頃いっちょん手に入りませんからこれちうたらどげんなんふうでしょうかちいう訳です、買おうかなという訳です、羽織にしましょうか、(       )(笑い)もう、この人ばっかりはほんな、それは無礼ち言うわけです。
けれども、お互いがです、身勝手信心の時にはそれぐらいのお詫び心がいるのです、なら、私たんもんたん買うてこいと言う意味じゃないですよ、ね、けれどもですね、昨日出てきたら私とあえなかったら、また出てくる、そこなんです。そして、それはちょいとしたものでいいです、ね、おそらく、なら日系文化財のだからと言うて、めったに手にはいらんもんでもないと思うんですよね、誰かおとめやあるとですよ、けれどもめったに手に入らんものが手に入ったからと言うて、私の感心を、いわば、買うためですけれどもね、その辺が私は文男先生の信心のすばらしいところだとこう思うんですね。
ところが、あれから繁雄さんがお参りをしてその日のお供えをしておりましたけれども、私も合わせしておるやら、羽織を習おうておった、したというて全くあの人に任せておった、だから、それとこれを合わせてみたら、めったにそれをあわせして皆さんがそれをきたのが、をあわせにすれば、羽織にすればきちっと合うわけなんですよね、だから、羽織にすればよかばいというて、(        )もって帰りましたけれども、私共がその身勝手信心、本当に身勝手な事で相すみませんと言うことだけじゃなくて、身勝手は何とかでカバーして行こうとする信心が必要じゃないかと言う事です。
けれども、その身勝手も、身勝手と感じないぐらいな事じゃつまらん、ね、そこんところは信心のやっぱ程度ですね、なら麻生さんの麻生さんの帰ってすぐお礼に出てみえましたけど、それが自分で身勝手とはいっちょん思ってない、商売の事でいっとるじゃけんそれはあたりまえとこう思うておる。秋永先生はそこんところをですね、ここに残しておるのですけれども、十三日会にはやっぱ帰ってきてる、ね、ここに三様の信心があるわけです、麻生さんは皆さんがご承知のように、まあ、ここで優等生的な信心をしておりますけれども、まだ同じ優等生でもまだ小学校といったような感じが致します。
なら文男さんのことになりますと身勝手、身勝手とはっきり感じる、とてもこのままほっておっては自分はおりきらん、それをほっておっては前には進まれんというのが文男さんのような信心なんですよね、そして、最後に話を致しますようなですね、それをカバーして行こうとする信心、これは信心を進めていく一つのコツ合いとでも言うかもしれませんね、このように第一、身勝手と言うたら本当に身勝手な信心ばっかりしておるですねお互いが、だから、私共は本当言うなら加藤先生に対して神様が言うておられるように、ね、それは自分の顔が悪い、また、あるいわ、おこっとるじゃなかろうかと人から言われるはずですよそんなことをいうもんじゃから、ね、自分がもう金光性を許されたなんていうのは、もう本部あたりではまた加藤がきちがいになっとるじゃろうとしかいいはせんです、それは分かっておる、分かっとるから三べんもお知らせを頂くのだけれども、ちゅうちょしておる所が神様から皮肉を言われて、お前にはかつて信心はないぞ、おまえこそ勝手信心の代表じゃといわれたと、それで、腹を決めて教主様にお手紙を持ってそのことをお届けさせて頂きましたら、教主様から金光の性を、手紙的には金光の性を書いてもよかと言う、その、語句を頂いたというて手紙がきております。
そのようなところでですね、一つのこのあやのところをですね、よく考えてみて、はぁーなるほど神様を中心に信心をするなら、そげんなん、人間ってそげんなん事とは出来ませんと言うような場合であっても神様の見方また違う、お徳を受けると言う事はまた違う、いわゆる、ご神徳と学問はまた別物だと石橋先生が仰ったのはこういうところなんだと、どげん考えてもそげんなんことはできませんよと言うていっぺんで神様が仰っても、花をつけて分かるような事でもです、そこんところを場合には泣く泣く、場合には自分の顔をつぶれてもです、やはりそのほうを取らせて頂くと言う信心こそが本当は有り難いのです、ね。
そこんところを取っていったら神様もね、そう言うことばっかり仰るのは決してない、だから、ある意味合いでは期待に鍛えておって下さる時にそう言うようなことがございますね、そすと、身勝手信心ではない、本当に神様を中心にしたところの信心が出来なければなりませんけれども、私共はやはり、人情の考えでしなければ、言うなら立ち行かん事がございます、ね、義理がたたん事もございます、そういう時に、また自分の信心にがです、ただ暑いから寒いからと言うぐらいな事で身勝手するような事すらございます、だから、そう言う身勝手の時の、いわゆる、神様もまた次に向かわせてもらえれる信心がです、ね、神様がその辺なんかは、いわゆる例だと思うんですね。
                                どうぞ。